VOL.18 八千代町の白菜

旬の食材を紹介するTouch food。第18回は鍋料理や漬け物に欠かせない野菜「白菜」。その中でも生産量日本一、茨城県「八千代町の白菜」をピックアップ。

VOL.18 八千代町の白菜
VOL.18 八千代町の白菜

白菜の歴史
煮込むととろけるような柔らかさになり、漬物にするとシャキシャキとした食感が魅力の白菜は、そのほとんどが水分。また、低カロリーで100gあたり、13~14キロカロリーほどです。
白菜はキャベツと同じアブラナ科の野菜で、原種は地中海沿岸が原産地とされています。その原種が中国北部に伝わり、改良を経て、7世紀頃に最初の白菜の形が生まれたとされています。当時の白菜は丸くならない不結球※1で、その後16~18世紀頃に今のような結球の型になったとされています。
日本での白菜の歴史は意外と浅く、明治8年(1875年)に開催された東京博覧会に中国から白菜が出品されたことがキッカケで伝わりました。その後、日清戦争と日露戦争で出兵した方々が、白菜の種を日本に持ち帰り、全国に広がります。しかし、当初は結球させることが難しく、育成は難航したようです。大正時代になると結球性の高い品種の育成に成功し、一気に全国に普及していきました。

茨城県「八千代町の白菜」
関東平野のほぼ中央、茨城県の南西に位置する八千代町は、県内一の白菜の産地。気候が白菜栽培に適しており、気温の高い9月、10月頃の白菜は固いですが、11月、12月になると寒さによりデンプンが糖化した甘みと柔らかさのある白菜ができます。これはこの地域ならではの味と評判です。生産者の方々は、毎年の気候を見通して栽培を行いますが、自然に逆らわないで行うことがポイントと言われています。
八千代町では大正時代に白菜栽培が試みられるようになり、第二次世界大戦後、夏場のすいかと冬場の白菜を組み合わせた栽培が広がり、生産は拡大していきました。昭和41年に創設された国の指定野菜価格安定対策事業※2をキッカケに、さらに本格的な栽培が始まり、大消費地東京にも近いことから県内一の大産地となりました。野菜価格の低迷や食の多様化などにより、農家の数は減少してきたものの、一農家当たりの栽培面積は拡大し、現在では、畑一面に白菜が広がる大規模な農業経営が行われています。
現在、八千代地区農畜産物生産流通対策協議会では「白菜キムチ鍋で町の活性化プロジェクト」を推進しています。「必ず八千代町産白菜と県内産豚肉をたっぷり使用すること」を条件とした白菜キムチ鍋を町内の各飲食店で提供することで、町のイメージアップと地域の活性化につなげるとともに、白菜の消費拡大とPRに結びつける取組です。

※1根元から葉先に向け、フワッと広がっている型。
※2生産者、道府県及び国が積み立てた資金を財源とし、販売した野菜の平均販売価額が平均価格の90%(保証基準額)を下回った場合、保証基準額と平均販売価額との差額を補てんする(補給金を交付する)事業。

VOL.18 八千代町の白菜
VOL.18 八千代町の白菜

白菜豆知識
白菜は寒さ(霜)に弱い野菜
寒さを乗り切るため、11月から12月にかけて、白菜の葉先の部分をヒモで縛って、中身を凍結させないようにします。作業は単純ですが、1つずつ白菜の頭を縛っていくため、大変な作業になります。
白菜は寒さから身を守るために、葉に蓄えられたでん粉などをブドウ糖へ変化させて、体の中の水分が凍る温度(凝固点)を低下させます。白菜が寒さにあたると甘みが増すと言われる理由は、この自己防衛により糖分が増加するためと考えられています。

VOL.18 八千代町の白菜
葉先部分をヒモで縛った白菜

時期により保存方法を変化
白菜は時期により、その保存方法を変化させることで、保存期間を長く保つことができます。
まず、4月から10月頃に出回る白菜は、カット売りで必要な分だけ求め、4~5日で使いきるようにしましょう。残った場合は、ラップできっちりと包んで冷蔵庫で保存します。
今の時期、11月から2月頃の白菜を保存する際は、まず乾いた新聞紙で白菜を丸ごと包みます。包んだ白菜は、根の部分を下にして立てかけておきましょう。場所は冷蔵庫や野菜室に限らず、玄関やベランダなどの涼しい場所ならOK!ポイントは、乾いた新聞紙を使用すること。新聞紙が濡れると傷むため、湿ってきたら取り替えるようにしましょう。また、白菜を横にすると重みで傷みやくなるため必ず立てて保存してください。このようにすれば2~3週間は保存することが可能です。