【インタビュー】宮司 船田睦子「奉仕するには、まず自分の心のコップが満たされていないといけない」

第94回のWorker’s fileは、東京・原宿にある穏田神社の宮司・船田睦子さん。2020年4月、コロナ禍の26歳の時に宮司に就任。以来、神社の再建に励みつつも、自身の人生を楽しむべく多くのことにチャレンジする船田さんに迫ります。

【インタビュー】宮司 船田睦子「奉仕するには、まず自分の心のコップが満たされていないといけない」

船田睦子(ふなだ むつこ)
東京・原宿の穏田神社に生まれ、大学では幼少期から好きだったフランス語フランス文学について学ぶ。同時に國學院大學の神職養成講習会を修了し、神職の階位のうち直階を取得。卒業後はアパレル企業勤務、法律事務所の事務員を経て、2018年に宮司代務者に就任。その後、國學院大學神道学専攻科にて正階を取得。2020年4月に穏田神社の宮司に就任し、神事の祭主など神職としての業務を遂行しつつ、穏田神社の運営に力を入れている。

 

◆奉仕するには、まず自分の心のコップが満たされていないといけない

-仕事内容を教えてください。

普段は境内の掃除や、お守りや御朱印などの頒布、ご祈祷などを行っています。また毎月1日と15日には、穏田神社の氏子の皆様のご健康やご多幸をお祈りする月次祭という神事を執り行います。その他に、この辺りには美容院やアパレルのお店が多いので、開店清祓式なども多いですね。さらに例祭や新嘗祭など、季節ごとに決まった神事を執り行っています。また私は宮司として穏田神社を運営しているので、会計事務をはじめ、地域の方やさまざまな方と一緒に催し物を考えたり、新しいお守りを作ったり。SNSなどの運営も基本的に私がやっています。あとは個人として旅系のライター、さらに今、フィトセラピーという植物療法の勉強をしているので、それと神社を掛け合わせたワークショップの企画などもしています。宮司であり、ライターであり、フィトセラピストであり。いろいろな側面を持ち、その全部が相互関係で良くなるような仕事、生き方ができるように考えています。

-さまざまなことを始めたのには、何かきっかけがあるのですか?

私が24歳の時に、父が余命1年と宣告されたんです。私自身、神社の家の子なので、将来的には継がないといけないということはわかっていたのですが、25歳の時に父が亡くなり、いよいよ継ぐとなった時、今まで自分が思い描いてきた人生が無くなったというか、一度ストップしてしまって。もうここからは神様にご奉仕、人にご奉仕をする人生で、私自身の人生はないんだなと思いました。いざ宮司になると「お父さんはよかった」「お父さんの時はこうだった」と散々言われて。だけど、ふと“私の代なんだから私なりの解釈で、穏田神社と地域の人をつなげていけばいいんだ”と思ったんです。宮司に就任したのが2020年4月、ちょうどコロナ禍でさらに緊急事態宣言の時だったんですよ。だからそれまで当たり前だったことができない環境の中で、新しいことを始めざるを得なかったんです。がむしゃらにいろいろなことをやり続けたのですが、やっぱり自分一人ではどうにもできないこともあって。若い女性ということで、どうしても見くびられてしまう。それが本当にしんどかったですね。でもそこで折れずに頑張っていたら、数年後メディアの方に注目していただく機会が増えました。それは若い宮司というのがキャッチーだったのかもしれないし、その時にやっていた取り組みに興味を持っていただけたのもあると思います。そこから、自分のやり方に味方してくれる人もいるんだと思うことができました。さらに神社の本質を考えた時に、やっぱり公共性が高いものだなと思って。神社って世の中の動きや人の気持ちを読み取ることが一番大事で、そこに私のやり方がフィットしたなと思ったんです。だとしたら今後もこういう経営方針でやっていこうと思い、そこからいろいろやるようになりました。今までは完全家族経営の神社だったのですが、今は人も雇うようにして、自分の時間、自分の人生を大切にするようになりました。

-具体的にどんなことをやられたんですか?

コロナ禍の時には、お正月にお参りに来ていただいた際に周りの地域を回ってほしいと思い、穏田神社周辺のお店に自分で取材に行って、それをもとに初詣マップを作ってホームページ載せました。その時に初めて、“こんな面白いことをやっている人がいるんだ”と知ることができましたし、相手の方にも“あの神社の宮司はこんな人なんだ”と知ってもらうことができてから、お付き合いも変わっていきました。業種関係なく“この原宿という地域を良くしよう”と思っている人たちはいっぱいいるんだなと知ることができたんです。そういったことを続けていくうちに、いろいろなメディアからお声がけしていただくようになり、“私は今まで種まきをしていてそれが全部繋がったな”と思いました。今も、金沢美術工芸大学とコラボをして当社のお守りを共同製作しています。当社の手水舎という手を清めるところの石が加賀藩前田家から譲り受けたもので、能登半島地震をきっかけに何かやりたいと思い石川県の方に相談したら、その美術大学を繋げてくださって、2025年の1月1日から頒布することになっています。

-宮司にしかできない仕事はどんなものがあるのですか?

神職は資格が必要なので、國學院大學の神道文化学科や三重県伊勢にある皇學館大学の神道学科といった所定の教育機関で学び、そこで神社本庁から任命された人しか神職に就くことはできません。逆に言うとそのステップを踏みさえすれば、神社を継ぐ・継がない関係なく、一般の人でも神職にはなれるんです。しかし宮司となると、先祖代々築いてきた地域の方々との繋がりがあるので、血縁がある人がなることが多いですね。神社のお祭りの中にも大祭・中祭・小祭とあって、大祭に区分される例祭や新嘗祭など重要な神事の斎主は、宮司にしかできなかったりします。

-宮司になるまでの経緯を教えてください。

私はもともとフランスが好きで、大学ではフランス語フランス文学科でフランス語とフランス文学に関することを学びました。2015年3月にその大学を卒業したのですが、卒業する直前に國學院大學の神職養成講習会という1ヶ月間だけの講習を受け、直階という神職の階位を取得。卒業後はフランスと名に入るアパレル企業に新卒で入社したのですが半年ほどで辞めて、その後は法律事務所の事務員として働いていました。そして2017年に当時宮司だった父の病気が発覚し、2018年に亡くなって。法律事務所の事務員を続けながら、宮司代務者に就任しました。そしてその年の12月に法律事務所を退社、翌年4月に國學院大學の神道学専攻科の1年課程に入学しました。学校に通いながら、平日の空き時間と休日は神社に務めるという形で休みなく働き、正階という階位まで取得。2020年3月に卒業して、4月に穏田神社の宮司に就任しました。

-船田さんにとって神社とはどういう場所ですか?

小さい頃から、父親が宮司として苦労している部分をたくさん見ていました。長女だしいつかは継がないといけないというのもわかっていたのですが、私自身我が強くて自分の人生は自分で決めたいと思っていたので、反発するように神社から離れて生きていました。大学では、もともと好きだったフランスを学ぼうとフランス語に没頭して、卒業後は小さい頃からファッションが好きだったこともありフランスの名が入るアパレル企業に入社し、この道を進もうと考えていましたね。しかしその反面、原宿の中でも自然がたくさんあるこの穏田神社で育ってきたし、こういった静かな場所に身を置くことが一番心地いいなと思うこともあったんです。だけどいざ宮司になってみたらやっぱりすごく大変だし、“なんで私が25歳で継がないといけないんだ”と思うこともあって。しかし宮司という仕事をしていくうちに、ゼロをイチにしていくということが好きだなと思いましたし、そこにやりがいを覚えるようにもなりました。避けてきたことも含めて全部繋がっているんだなと。だから神社は私にとっては人生の一部というか、私を作ってきたものの大きな要素の一つなのかなと思います。

-お父様の代の穏田神社はどんな神社だったのですか?

静かな神社というイメージです。御朱印とかもブームではなかったですし、主に地域の方が参拝される神社でした。その代わり父は、地域の人とすごく触れ合っていたなと思います。地道にご奉仕していたと思っています。私が宮司になったのはコロナ禍だったので、地域の人に会いに行きたくても行けず、集まりみたいなものもなくて。顔を覚えてもらう機会がなかったんです。父は30歳の時に祖父が亡くなって、それから40年くらいずっとやってきたから、地域の方からの信頼が厚かったですね。父が亡くなる直前に、1軒1軒お札を配りに行ったことがあったのですが、行く先々で全員に「宮司さんの具合はどうですか」とか、「宮司さんにはお世話になって」と言われ続けた時に、父が宮司として40年やってきた仕事はこれだったんだなと思いました。地元の人しか知らない神社ではありましたが、地元の人には愛され続けてきた神社だったのかなと思いますね。

-宮司として大切にしていることを教えてください。

自分の人生を生きることですかね。今までは、神様や人に奉仕するには、自分の人生を捨てないといけないと思っていました。でも世のため人のために奉仕するには、まず自分の心のコップが満たされていないといけなくて。満たされて溢れた分を人にお渡しするという形じゃないと、自分が生きていけないんです。それからは自分の人生を大切にしようと思い、宮司の仕事以外にもいろいろなことにチャレンジしています。

-船田さんが思う神社の魅力を教えてください。

誰かの心の拠り所になれることじゃないですかね。神様を信じる・信じないという問題ではなくて、自分にとって大切な人を思ったりとか、自分を見つめなおす場所だと思っています。静かな境内で自分の心に向き合うことで、心が癒されたり、また頑張ろうと思えたり。だから神社って無くならないんだと思います。あとは神社って、安産祈願からお宮参り、七五三、結婚式、お葬式まで、人生の全てに向き合うんですよね。日本人の習慣に根付いているものに寄り添うんです。それは神社としての魅力かなと思います。

-神職に就きたい高校生は、どのような道を辿ればいいのですか?

手続き上の話で言うと、國學院大學や皇學館大学の神道学科など、神職になるための教育機関に入学し、資格を取ります。ただそれはあくまで手続き上の話で、神職というものに興味があるのだとしたら、いろいろな神社に行って神主さんとお話ししてみる。さらに、御神楽や雅楽など、神社に関わる日本の歴史に対し、興味を持って学ぶことが大切だと思います。私の場合はフランスだったり、いろいろなものに興味があったので、それが今に繋がっています。だからまずは、自分の人生というものを考えて、そこから何がやりたいのか、何に情熱を注げるのかというのを見つめること。さらに神職になれたら自分はどんな感情になるのか、自分の夢を叶えたていでいろいろなことを考え、そこに行き着くためのスモールステップを考えていくことが大事かもしれないですね。これは神職に限らず、なりたいものがあるのだったら、なりたいという気持ちだけではなくて、実際になった時にどうなるのか、そのためにどういう道を辿っていくのかを考えてみてほしいです。その方法は何でもよくて、そこに向かっていく過程でいろいろなものを引き寄せていくと思うので、そういう感覚は大切にしてほしいです。

お仕事言葉辞典 宮司編

【頒布】 はんぷ
参拝者に対し、お守りやお札、御朱印をお渡しすること。これらのものは料金をいただく際も“販売”という言い方はせず、神様の御霊が宿ったものをお渡しするという意味で「頒布する」と言う。

お仕事道具見せてください

【インタビュー】宮司 船田睦子「奉仕するには、まず自分の心のコップが満たされていないといけない」
神事を執り行う際の装束
男性と女性の装束には違いがあり、男性は烏帽子(えぼし)を被る一方、女性は額当(ぬかあて)という髪飾りを着用します。また男性は手に笏(しゃく)を、女性はぼんぼりといわれる扇を持ちます。これらは全て神事の際に使用します。

INFORMATION


【インタビュー】宮司 船田睦子「奉仕するには、まず自分の心のコップが満たされていないといけない」

◆HP:https://onden.jp

◆Instagram:https://www.instagram.com/onden_jinja/